2025年11月のある日・・・伊藤社長の身近な場所であるオフィス周辺を歩きながら、半生を語ってもらいました。一緒に歩いた、社長をサポートする業務に携わっている山口さんも、知らないことや驚くことが沢山あったようです。ほんの一部ですがココに紹介させていただきます。
私の歩みと事業にかける思い
皆さま、ハードプロテクト株式会社代表取締役の伊藤雄一郎です。私の歩んできた道のり、事業を立ち上げるまでの葛藤、そして当社が目指す未来についてお話しさせてください。私たちの取り組みが、単なるビジネスではなく「人」と「誠実さ」の上に成り立っていることを少しでもお伝え出来れば幸いです。
伊藤社長のデスクにて
山口さんと会議室にて
エントランス空間にて
私は1968年(昭和43年)静岡県沼津市で生まれました。幼少期、横浜に移りずっとこの街で学び育ちました。
高校受験の志望校は、可愛い女子が多いという話しを耳にした事で選択。担任から「お前には8割無理だ!」と言われました。しかし母の「あんたなら大丈夫よ」という強い一言に背中を押され、そこから勉強を始めて無事に合格することができました。この母の言葉と、やればなんとかなる、という成功体験は今でも忘れることはありません。
高校卒業後の進路は、旅行業界に憧れ、横浜駅近くの専門学校「横浜外語ビジネスアカデミー」で旅行関連ビジネスについて学びましたが、当時の学歴社会の壁に阻まれ、大手の旅行会社は試験を受けることすらできませんでした。この時身を持って世の中の現実を突きつけられ、大学へ行くということはそういうことだったのかと実感しました。
トラック運転手時代、首都高速の渋滞の中で当時好きだったカーペンターズを聞きながら・・・「俺の人生これからどうなるんだろう?俺は何をするためにこの世に生まれてきたんだ?」と自問自答を繰り返し、真剣に人生を考えた事は今も昨日の事のように覚えています。そして「いつの日か自分で事業を起こしてみたい!」という強い思いが固まったのもこの時期です。
会社設立への「最後の自問自答」
山下公園の思い出の場所は遠くにベイブリッジ
横浜の観光船「マリーン・ルージュ号」の事務所で働いていた時、誰も積極的な営業をせず、常に受け身の姿勢だと感じていました。私は「船という資産を、もっと有効に活かし売り込む自信があるので営業をやらせて欲しい。必ず会社の利益に貢献できる!」と何度も上司に提案しましたが誰も動いてくれませんでした。
このままでは、自分も同じようになってしまうと感じ、退社を決意し不動産業界に転職。私は「マイホームは一生に一度の大きな買い物、夢を売る仕事だ」と前向きに考え、仕事に取り組みました。しかし意気込みとはうらはらに入社当初は9カ月間売上ゼロ。自信を失うという苦しい日々も経験しました。
ある方に、感謝の気持ちを持っているか?と問われた事をきっかけに、両親を前に産んでくれた事、今まで育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えました。母が涙をボロボロと流したのを見て心に深く感じるものがありました。それからは、お客様を訪問する前に、毎回両親へ感謝し、お客様の幸せを本気で祈ってからご挨拶をするという大義を貫いた結果、みるみる成績が上がり始めました。
人生がやっと軌道に乗り始めた!という実感に包まれ出していたのがこの時期でした。尊敬できる社長のもとで働ける事や、仕事のスキルもどんどん上がっているという充実感がありました。そんな環境に身を置けたせいか、仕事に対する自らの欲も膨らみ、そうなると現在と自分の理想が完璧に合う訳でなく「事業を自分で作ってみたい!」という情熱が強く生まれて来ました。
会社設立に踏み切る前、私は車の中で長時間、独立後の全てのリスク・・・破産者になる可能性や、誰も助けてくれないこと・・・など想定し得るネガティブ要素全てを自問自答しました。最終的には「絶対にやりきる!」という決意を持って、平成8年5月14日(株)クリエイティブ・サービスを設立したのです。当時、長男がまだ1歳というタイミングでした。
いつも通る山下橋は元町から海へと広がる場所
創業当初は仕事が何もない状態で、まさにゼロからのスタートでした。初めは、トイレ掃除から空調機の掃除、室内の清掃など、メンテナンス系の仕事を「依頼さえあれば何でもやる」という姿勢で始めました。赤字が続く中、社員や協力会社様への給料やボーナスの支払いを常に心配しながら、私自身も毎日現場に出ていました。
内装系の仕事を受注する際、実績も信用もない状態でしたから、協力会社様や職人さん達を当時住んでいた狭いマンションへ連れて行き、幼い子ども達のことも見てもらい「私は逃げも隠れもしません。隠し事もなくこの子達の父親でもあります。」と伝えることで、信頼を得る努力を重ねました。単価が安いながらも、1日に10件以上見積もり依頼が来るなど、とにかく最初の3年間は1日も休むことなく働き詰めでした。
ワックスへの疑問と新しい商品との出会い
不動産賃貸物件の原状回復工事でワックスを塗る仕事をしていた時、私は疑問を抱きました。ワックスを塗って剥がすという作業を繰り返しても、結局は汚れが染み込んだり、お湯で白濁したりする。「ワックスって塗る意味あるのかな?」そして現場監督が『ワックスを塗れば傷は見えなくなります』と言っていたのを聞いて、フローリングにワックスを塗るのは傷隠しだったのか」と気が付いたのです。
私は「フローリングにワックスなんか、本当は塗るべきじゃないのだろう」という考えに至り、ワックスを塗らなくて済むように、最初にガードするようなものが世の中にないのか?それから1年間探し続けました。
オフィスへ至る霞橋は永代橋と同じ土木学会田中賞他受賞多数
そんななか、新聞紙に水をかけてもその水を弾く実演を見る機会があり、「コーティング」という商品の存在を知りました。私はすぐにそのコーティング会社の社長に面会を求めました。重要だと思ったのは、経営者が「人を騙してでも金儲けをする」人間ではないか?信じられる人物か?を見極めたかったからです。面会を通じ「ちゃんとお客様が喜ぶものを作ろうとしている」と確信し、フランチャイズ契約に踏み切りました。
成功を約束する「崖っぷちの決断」
当時リフォーム事業は順調に回っていましたが、社員1人だけを連れて別の場所に事務所を借りました。なぜなら、リフォームの仕事をしながらでは気持ちが離れず、新しい事業に集中できなくなると思ったからです。これは、床のコーティング事業に本格参入する際の大きな決断でした。
エントランス空間にてポスターと共に
たとえ同じ会社内の事業であっても「あえてこれはこれ、崖っぷちに立つ気持ち」で自分を追い込み、新しい事業を徹底的にやりきると腹をくくるためでした。この決断は、いま振り返っても正しかったと確信しています。
私たちは、新築予定の方々の情報を入手するなどの努力をし、テレアポや、当時まだあまり使われていなかったネット広告をいち早く活用しました。ネット広告は、反響だけで月1,000万円以上の売上を上げたこともあり、事業は軌道に乗りました。
事業が成功を収める中でも、私は約20年前からずっと「自社開発商品を作りたい」という思いを強く持ち続けていました。価格競争をするのではなく、他社がやっていない価値、そして「人の健康に貢献できる商品」を生み出したいというものでした。
サトヤマコートの誕生と困難な道のり
この長年の夢を実現するために着手したのが、植物由来の成分を活用した新しい塗料の開発、すなわち「サトヤマコート」の始まりです。この開発は、実は会社組織の再編に伴う大きな困難(当時の事業パートナーとの軋轢やトラブル)に直面している最中に進められました。
私は社内の混乱が続く中でも「これだけは、どうなっても気が済むまでやり遂げよう」と、倒れそうな心を無理やり起こしながら開発を続けました。
開発は順風満帆ではありませんでした。特に、現在増えている撥水性の壁紙には、何をやっても塗料が弾かれてしまい、4ヶ月間もプロジェクトが止まってしまう壁にぶつかりました。しかし、新たな樹脂の発見により、この難題を乗り越え、2年目にはようやく耐菌性やVOC低減のエビデンスを取得することができました。
その後も、施工者の身体への負担を考慮し、アルコールを使う従来の製法から、オール天然塗料にしたいという思いを強く抱き続けました。専門家の助言を得て、セルロースナノファイバー(CNF)との出会いがあり、実験を重ねた結果、天然成分のみを使用した塗料を実現し、それによって性能の向上にも繋がり特許も申請することが出来ました。
未来への誓い:ジャパンブランドと良いコミュニティ
2025年初頭に掲げたスローガン
私が今見据えているのは、サトヤマコートを「メイドインジャパン」のブランドとして確立し世界に出すことです。まずは海外に拠点のある日本企業に取り扱ってもらえれば、世界に向けて道が開けると思っています。
私は、事業を通じてかかわる全ての人々・・・お客様、周囲の人々、新しく出会う方々・・・に対し、「人のため」になることを根底に置き、健康面をベースとした我が社のテーマである「人生・幸福・上質」をキーワードに、良いコミュニティを築いていくことを目指しています。
さらに私たちは、日本文化を守りながら事業を展開することで、日本(ジャパンブランド)がより世界中に信用される日本の黄金時代が必ず来ると確信しています。
私がこの横浜の地で培ってきたのは、誠実さと揺るぎない覚悟です。困難な状況に直面しても、常に大義と倫理観を持ち、人の役に立つことに情熱を注いできました。私たちは、皆様に「この会社に出会えて良かった」と言っていただけるよう、これからも邁進してまいります。ぜひ一度、ハードプロテクトの情熱に触れに、私の愛する横浜の地を訪ねてみてください。
2025年晩秋
ハードプロテクト株式会社
代表取締役 伊藤雄一郎
